こんにちは!

401です。

のりおさん(あざーす!)に任せっぱなしなのでここら辺で少し記事でも…

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個人的に先シーズンから踊っていた舞踏会が終演したのでそのご報告をします。

今シーズンも何度かトライしてきましたが、この課題の前に立つ度に、クライミングを初めた頃に「スプーンカットフェイス」と「ミラースタンド」を観て、「こんなの登れるのか…」と思った記憶が蘇ります。

ある日、ミラースタンドをググって見つけた、とあるブログに初登者Joeさんのこんなコメントが載っていた「この小さなホールドは、自分の限界で慌てふためき、自分を見失ってしまった僕を写す鏡だ。」この課題名の由来と思われる一節に痛く感銘を受け、今までトライしてきた課題とは何か違う感情を持ってトライを重ねたのでした。

僕にとってはスタートから中々厳しい課題で、今シーズンになってようやく中間部まで到達するようになったが、ガバカチが中々取れない日々が続いた。そしてこの日曜日、トライ前に自分のイメージと目の前のホールドを頭の中で何回も重ね合わせ集中してスタートした。自分的核心手前の中間部までイメージ通り到達した時には「絶対取れる!」との確信を感じれる程自然な流れであった。そしてそのままガバカチを初めて掴んだにも関わらず、手が導かれるままムーブが進んだ。横クラック部で一旦レストし上部を確認した後、縦クラックに手を伸ばした。松葉に頬を撫でられながらも両手を突っ込み身体を引き上げる時には完登の歓びが湧き上がってきた。岩屋で「百鬼夜行」を登った時もそうだったが、頭で考えるより先に身体が動く自然なクライミングだった。

今更ながら30年程前に催された「ある、ささやかな垂直の舞踏会」に遅ればせながら僕も参加出来た気がした…


いつもとは違う感じでブログを綴ってみましたが、如何でしたか?

開拓者や初登者の思いが感じられる事が課題によってはあります。
その思いとは全く的外れなクライミングをしているかもしれませんが、自然の岩にとりついていると何かを思わずにはいられません。

ただ岩の上に立つのは裏から廻れば誰でも立てる。
そうはしないクライミングに、
鏡に写れば小ちゃい中年男がどハマりする理由があるのです。


そしてまたこんな気持ちにさせてくれる課題を求めて毎週末彷徨うのである。